私は、事業移民プログラムという永住ビザで1989年、ここオーストラリアに移住しました。それまでは東京で毎朝の満員電車でもみくちゃにされて夜遅くまで残業するのが当たり前のよくあるサラリーマン生活を送っていました。私は、大学時代アメリカで留学生活を送る機会があったからでしょうか、日本でサラリーマン生活を送りながらいつも感じていたことは、あまりにも生活の中心が会社に比重が重いということでした。それは、たぶん通勤時間、職住の距離感にも原因があるでしょうし、戦後日本が復興し、経済大国になる国策と日本型経営もあったでしょう。人それぞれが人生の価値観をどこに見出すかは様々ですから出世を夢見て努力されていらっしゃる方々を非難するわけではありません。あくまでも私個人の人生の価値観でお話しします。私の場合は、アメリカでホームスティした時のファミリーの仕事と余暇を楽しくうまくエンジョイしている光景が頭から離れませんでした。なんだ日本人はアメリカンファミリーを夢見ているけど、現実はそんな家族生活を実践できないじゃないか。どうしたら実現できるだろう? 答えは、海外移住だなと思いました。言うは易し行うは難し、こういう私も留学経験はあるものの、さて移住となると収入面や、家族の教育、医療などなど色々と確認しないといけないことがありました。問題は、サラリーマンをやりながら準備作業をすることは、気持ちの上でもそして実際にも途中で折れて、難しいのではないか、人生最大の決断でした。100%移住を前提に自らの退路を絶ったことが、現在の自分へつながっていると思います。私は1987年
退職し、その後一年間を移住申請、移住地の下見等で浪人しました。
話が前後しますが、何故私がオーストラリアを移住の地に選んだかは、生活のトータルバランスのよい国だったからです。気候、治安、医療、アジア人に対する偏見のなさ、教育、政治何をとっても日本人の私には申し分のないそして新しい国の匂いがしました。
留学したアメリカは、人種差別が露骨で、銃社会の治安の悪さ、グリーンカード取得も困難です。アメリカは、完全な英語社会、星条旗と神に忠誠を誓う愛国心の高いそしてアングロサクソンに住み易い国だったのです。オーストラリアは複合文化、その当時人口1,400万人、日本の国土の23倍の未開拓なこれからの国という印象でした。言葉を代えれば、陽気でちょっと田舎っぼく、そして国民の半分以上が海外で生まれたという不思議な国ですね。民族、宗教対立もないし、物価が安く、オマケに社会保障制度がいいからホームレスなし、ダウンタウンなどの犯罪の温床もありません。人種差別に関しては、日本ですら第三国人だのという差別があるじゃないですか。それに比べればむしろ、電化製品、機械、自動車は日本製が多く、むしろ日本人をリスペクトしているような感じがします。
浪人中にオーストラリアを訪れ、ブリスベン、シドニー、ゴールドコーストと何ヶ月もかけて生活体験しました。ゴルフが好きで海が好きな私は、最終的に気候も亜熱帯気候で温暖なゴールドコーストを移住の地と決めたわけです。それから15年があっという間に経ちました。もちろん失敗談もたくさんあります。それはまた続編でお話しします。
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